織ることで気づかされる「人間中心主義的」な私たちのあり方 − 美術家 黒田恭章 −
「 たぶん、世間でよく言われる多様性が目指すべき方向性や形はこっちなんじゃないかな。」
2016年トーキョーワンダーウォール大賞受賞をはじめ、今では国内を越えて海外からの注目も集める美術家 黒田恭章。東京恵比寿にある黒田のアトリエを訪れ、今日の作品スタイルにいたる過程や、彼の作品が持つ世界観について聞いた。
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> アトリエがとても整頓されていて、すごく綺麗ですね!こう言ったら怒られそうですが、美術家の作業場というと道具とか絵具みたいなものがいっぱい転がっていたり、散らかっているイメージを持っていました。
アトリエに限らず、家の中はできるだけ綺麗にしています。絹糸は繊細で、作業内容によっては少しの埃で糸が傷んでしまうこともあるので掃除は毎朝の日課ですね。
> 綺麗なスペースで気持ちも良いですね。他にも気にかけていることはありますか?
季節的なものもありますが、手荒れには特に気を付けています。指先がほんの少し荒れるだけで、すぐ絹糸を引っ掛けてしまうので。
あと中学時代の体育のジャージを着て制作をしています。使用している織り機が130センチ幅の洋機で、織る時に腕をいっぱいに伸ばすのですが、このジャージだと袖が伸子の針に引っ掛からないとか、ファスナー周りの生地が分厚く、織っている時に布とファスナーが干渉しないとか、まくった袖が落ちてこないとか。
アトリエの様子。奥に見えるのがオランダLouet社のMegado130
色の一回性
> 色々なことに気を遣いながら制作をしているのですね。ところで、ここには沢山の染めた糸がありますが、これだけの色糸を植物染料で染めるのはとても大変なことだと想像します。それでも作品に化学染料ではなく植物染料を使うのは何故でしょうか。
狙った色を出すことでいえば、断然化学染料に分があると思いますし、実際に大学では僕も化学染料を使っていました。ただ化学染料は助剤や染料の分量を正確に守らないと大変なことになってしまいますよね。
糸を染める環境って、コンロがあってシンクがあって、すごくキッチン的な感じがしませんか。僕の場合、料理でもそうなのですが、レシピ通りにきちんと計って作るのは少し苦手で。普段の料理と同じ感覚で化学染料を扱ってしまうと大惨事になりかねません。
対して草木染めは、枝一本や実一つのグラム差は誤差でしかなく、その場のノリが許されるというか。こんなことを言うと、工芸の方に怒られてしまいそうですが。その日の気分や感情もダイレクトに色に影響を及ぼすし、作業がとても”生”だと思っています。
それでいて実際に出てくる色がすごい。一般的に草木染めというと、穏やかで優しい、柔らかい色調を想像されると思うのですが、決してそういった色ばかりではありません。むしろ一見ケミカルな、ビビッドな色にこそ植物染料の良さが出ると僕は感じています。例えばエグいくらいのピンクとか、どぎつい紫を出すことができます。でもその「エグい」とか「どぎつい」という形容以上に、その色のなんとも言えない特別さが出るし、特別さを纏ってくれる。
絹を植物染料で染めた時のこの発色には心底やられました。あとこれだけの色が自然の中に存在しているという事実がなんかもうすごくて。
ただレシピは守らないし、場当たり的にその日の冷蔵庫の中身に合わせて晩御飯を作る!みたいな染色をしているので、どれだけ特別な色が出ても、その再現はできません。でもそんなノリで作った料理がめちゃくちゃ美味しかったりすることもあるじゃないですか。だから気分的にはノリなのだけれど、作業自体にはものすごく真剣に向き合います。結局、色との出会いは一期一会で、一度逃した色との二度目はないので。
> そうですね。当社でも草木染紬を作っていますが、採取する時季や環境、個々の染料の状態、染める人によっても毎回異なる色が出る。大量生産品なら不良品なのだけれども、草木染めに関してはその不安定さが魅力でもあります。毎回違う色に出会えるワクワク感が、作り手の楽しみの一つだと当社工房の職人も言っていますね。
植物染料で染めた糸。二度と再現できないのが魅力と語る。
> さて、一昨年2018年の青山とみひろでのトークイベント(*1)は僕にとって刺激的な体験でした。黒田さんはどうでしたか。
工芸とアートをコラボレーションさせた企画だったことや、呉服屋さんという特殊な環境での展示だったことなど、初めてのことだらけでとても楽しかったです。
*1:2018年にとみひろ青山店で、「Lines & Agency~糸の振舞い~」と題して、黒田氏と当社草木染紬のコラボ作品展示を開催。そのなかで対談形式のトークショーも行った。
> それは良かった。実は私たちもあの展示は初めての試みでした。私自身もそれまでトークセッションなんてしたことがなかったので、間抜けなこと言ってしまわないかと緊張していました…。黒田さんはイベントでどんなことを感じましたか?
トークイベントでは、普段話さない職種、業種の人たちとも思考を共有していくことができて面白かったです。意外な共通項や普段持っている視点の違いなど、今までとは異なる場で自身と作品を相対化させることができました。
また展示全体を通して、気づくことや学ぶことが沢山ありました。
僕は現代美術を、ある程度言葉の世界での出来事だと考えています。だから日常的にも自分の作品を言葉で固めていく作業を多く行っていました。でも、とみひろで展示をさせてもらった時に、何よりもまずモノありきの、工芸のフィールドに戻されたような気がします。自分が言葉にこだわりすぎて頭でっかちになっていたところを、もう一回矯正させられるような、自分と作品それぞれのあり方を冷静に見つめ直す良い機会だったと思います。
> 私も普段接するお客様や作家ではない人と話すことで、今まで持っていなかった視点から織物を見ることができたと思っています。それまで私にとって布は「着るもの」でしたが、黒田さんが言うように「言葉を持ったもの」として見ることができるんだなと。
織物というもの、(織物)作品というもの
> はじめて青山での展示で黒田さんの作品を見たとき、織りのアート??と珍しく思ったのが第一印象です。対談中にも「どう見て良いのか難しいです」みたいな、失礼なことを言ってしまいましたけど…。すみません(笑)。
でも、今のような「織物」という作品のスタイル?にいたるには、どんな経緯があったのでしょうか。
僕は武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科テキスタイル専攻を出ています。そこではまず、基礎実習という染めや織りの基本的な技術を学ぶ授業があり、その中の織りの授業では卓上織り機を使って織り機の構造や、実際に布を織るまでのセッティングの手順、平織り、綾織り、朱子織りなどの基本的なことを学びました。
ただその時は始めたばかりだったということもあり、布を織れたことの達成感や感動よりも、織り機の構造や仕組みに興味を持っていました。織り機が持つ制約、不自由さが気になった、とでもいうのでしょうか。構造的に、ここをこうしたら、もっとこういうことも可能になるのではないか?と考えることが多かったです。
そのこともあって、最初の自由度の高い課題ではその制約を回避できるような”織り機もどき”を作りました。そしてその”織り機もどき”を使って、普通の織り機にはできないような織物を作り、課題の講評に挑みました。結果は惨敗で、先生からの「それ織り機でできるから」の一言で一蹴されてしまいました(笑)。今になって思うのですが、その”織り機もどき”が可能にしていたことは、ちょうど「組み」と「織り」の合いの子のようなものでした。それは「織り」が発展してきた歴史の中に位置付けられるものでもあるので、方向性としては良かったのかもしれません。
結局その先生はどうやったらそれができるかの答えを教えてくれず、反抗心もあり、そこからは織り機を使って何ができるかを模索しながら織物の道にどっぷりです。
あとその”織り機もどき”で作った作品が、今の作品と同じ、方形のパネルに織った布を張り込む形のものでした。もしそれが別の形だったら、今の作品スタイルは違っていたかもしれません。
there - here, 130 x 189cm, 2008(大学3年時の作品)
> なるほど。当初から今のスタイルの原型ができていたわけですね。そして大学卒業後、大学院でも制作を続けた?
はい。そのまま進んだ大学院では特筆すべきこともなく制作に没頭し、就職活動はせず、気づけば卒業です。あっという間でした。
あと大学院2年生の時に織り機を買いました。2011年の1ドル70円代の超円高だった時です。このことも今のスタイルに大きく関わっていて、もし今の為替レートだったらまず購入できる価格ではありませんし、違う織り機を購入していたら、やっぱり今とは違うスタイルの作品になっていたのではないかと思います。
そして大学院を出てからは、日銭を稼ぐために鞄の製作を始めました。鞄を製作物に選んだのは、自分で織った生地を製品のメインに使えるということと、鞄そのものが広告媒体になるので、自分に発信力がなくても宣伝を頑張らなくて良いという利点があったからです。一人で製作から販売までをするのって本当に大変じゃないですか。作ること以外にもやらなきゃいけないことが多すぎて。
鞄製作は2年ちょっと続けました。でもやっぱり作品制作に戻りたくなって。当時は、アーティストというか、芸術家がどうやってお金を稼いでいるのかも知らず、レンタルギャラリーとコマーシャルギャラリーの違いすら分かっていませんでした。そんな時に、賞金が出るアートコンペの存在を知り、この道があったのかと。でもよくよく募集要項を見てみると結構年齢制限があったりして。これは今すぐに始めないと年齢的に間に合わなくなると思い、鞄製作は老後の楽しみに回しました。
> アーティストとして生きることを選んだ。それは勇気のいる決断だったと思います。
いつも自信はあるんですよね。無根拠なやつ。それに自分で振り回されることも多いですが。
僕は平面作品を対象としたコンペに応募していました。最初の応募は2014年で、構造が複雑な、自分の得意とする織物をパネルに張り込んだ作品を出して選外。それは技法を問わない平面作品のコンペだったのですが、その時に入選していた人たちのほとんどが絵画作品だったので、次のコンペでは普通に絵を描いてみて選外。みんなが絵だから僕も絵!という驚きの思考回路でした。
その後、少し冷静さを取り戻し、そもそも審査を通過している絵画作品のキャンバスは布だよな?と。その布に何かを描く人たちと、布そのものに何かを現わせる自分との間にそこまで審査上の優劣は生まれないのではないか?と考え、キャンバスと同じ平織りの布を織り、キャンバス作品と同様にパネル(キャンバス作品は木枠ですが)に張り込んだ作品を出しました。それが初めての入選となりました。
この入選で勢いづくかな?と期待に胸を膨らませた2015年は全敗。かなり感傷的になりました。作品は良いはずなのになぜだろうと。自信はあるので作品の良さを疑うことはありませんでした(笑)。そこで2016年は思い付きで、今まで応募用紙の素材や技法を書く欄に記入していた「絹糸、植物染料、平織り、草木染め」の中の「平織り」の表記を「手織り」に変えてみました。するとトーキョーワンダーウォール(*2)の大賞をいただくことができました。
> 受賞までに様々な試行錯誤や失敗があったんですね。そして、作品表記の変更が転機になった。
後から聞いた話ですが、僕の作品は市販の機械織りの布を買ってきてパネルに張り込んで表面に少し線を描き足した、ただそれだけの作品だと思われてしまうことが多くあるそうです。ワンダーウォールの時も、一人だけ、審査員の方が作品を観て手織りの布だということに気づいてくれました。そして他の審査員の方々に僕の作品が手織りであることを伝えてくれました。もしその方がいなければ、僕の作品は審査に値する、観るべき作品としてその場に存在することができていなかったかもしれません。
コンペの中にはタイトルすら伏せた状態で、つまり作品のみで審査をするものもあるので、どこまで作品以外の情報を読んでもらえるのか、本当に「手織り」の表記だけでここまで結果が変わってしまうのか実際のところは分かりません。この時もたまたま審査員の中に布を観ることのできる方がいてくれたという運が一番大きな要因だったと思っています。
真夜中の旅立ち, 97 x 162cm, @トーキョーワンダーサイト渋谷, 2016
> それは複雑な心境ですね…。
そもそも僕からしたら、こんな布が機械生産可能でしかも市販で入手可能!?本気!?って(笑)。
その意味でも日本人の布に対する興味関心の薄さというか、布離れがすごいなと思います。着物くらいではないでしょうか?今も布をよく観ようとするのは。
世界最古の織物の痕跡は、諸説ありますが今から約1万年前といわれています。一方で、日本で一番古いとされている織物は今から約3千年前。ここには7千年ものギャップがあります。この7千年の間に、日本では布を使わなくても良い住環境、建築様式などが発展していったのではないかと僕は想像しています。布の用途が衣服に限定されていくような。
勉強不足ではっきりしたことが言えず申し訳ないのですが、海外での布のポジションと、日本での紙のポジションは近くて、観る対象としても発展していった海外の絨毯やカーテンは、日本では屏風や襖に置き換えられるのではないかと思っています。
作品に対する反応も国内外で大きな違いがあって、海外の人は僕の作品をそのまま当たり前に観てくれるんですよね。その一方で、日本のお客さんによく言われるのは、「これはこの後、服になるのですか?」と。
> 着物も同じように、もしかすると布に実用性を求めるような風潮が、欧米にくらべて日本人の方が強いのかもしれないです。
そうですね。日本でも貴族文化が今も続いていたら、日本の芸術そのものが大きく違っていたのではないか、という話を聞いたことがあります。江戸時代に武家社会になったことで、実用性重視の方向に変わった。貴族的な装飾的、鑑賞的趣旨の強い、普段の生活とは少し距離のあるようなものから、(武家社会になることで)もっと生活に根付いた実用性のあるものに移っていったとかなんとか。もし日本が貴族社会のままだったらどうなっていたか、妄想は膨らみますね。
> その妄想をすると面白いですね。貴族社会だったら、今頃日本の布の使われ方も、見られ方も全然違っていたかもしれない。
黒田恭章個展「 contextile 」@トーキョーワンダーサイト本郷, 2017
作品について
> 先日展示会で、ここ最近で作品との関係性がまた変わってきたと言っていました。作品との関わり方がどう変わったのか、変遷を教えてもらえないでしょうか?
作品との関係性には、大きく分けて「私の織物」「私と織物」「私は織物」の3つの段階がありました。
はじまりは「私の織物」で、作品にはデザインや設計図といった明確な僕自身の意図がありました。つまり、作者主導のコントロールされた織物だから「私の織物」です。多分そこには、コンペに通る作品を作らなければいけないという事情もあり、完成された「作品」を目指していたのだと思います。
ただ、自分では織物を完成された作品にすべくコントロールしているつもりでも、実際の制作の中ではその反対のことがよく起きていました。織っている最中に、「狙い通りここの色の組み合わせはすごく気持ちがいいな!」と、上手くいったことを確信した場所が、パネルに張り込んだ後で眺めてみるとなんということのない弱々しいものだったり、「なんでこの色を組み合わせてしまったのだろう」と悔やんでいた場所が、結果的に作品中のどこよりも重要なポイントになっていたり。
もちろんそこにはデザイン自体の出来不出来も関係しているのだと思うのですが、そうだとしても織物自体の主張が作者の意図よりも前に出てくるというか、織物に主導権を持っていかれるような感覚がありました。だから、これはもしかしたら自分で全てを決めないようにした方がいいのかもしれない、と。
> つまり、もしかすると自分の意思がなにか制作の邪魔になっているんじゃないかと思ったわけですね。
はい。そこで、一度自分の主体性をできる限り減らしてみることにしました。具体的なやり方としては、使用できる糸の色はカラーチャートから偏りなく72色、全て草木で染めて、それぞれを糸枠に巻く。これを6色ずつ6ヶ所、上下2段で配置し、どの色を選択するかにはサイコロを3回投げることで決めるという方法をとりました。ジョン・ケージのチャンスオペレーション(*3)に近い方法ですね。1投目の奇数偶数で上下段の選択。2投目で6ヶ所の中の1つを選択。3投目で2投目で選んだ1ヶ所の中の1色を選択。この選択を糸8本(5mm)ずつ、経糸緯糸共に、延々と繰り返しました。
こうして自分の主体性、決定権の放棄を試みたのですが、ここでも想定外のことが起きました。せっかくサイコロに糸(色)を決めてもらうという仕組みを作ったのにも関わらず、「その色は選びたくない」という今度は強い「私」の現れです。「絶対に何が何でもこの色の次にその色は嫌だ」と。日によっては3時間くらい作業が中断されました(笑)。でもそれは決められたルールなのでなんとか自己を押し殺して従う。そんなことを繰り返していくと徐々に慣れも生じ、仕方がないからとサイコロに従って糸を選択し、織り進めることにも順応していく。するとまたまた想定外で、サイコロが選択した糸を取りに行ったはずの自分の手が、いつの間にか別の色の糸を手にしている。しかもこれが頻繁に起こる。
その時、自分でその色糸に手を伸ばしたという意識は全くなく、糸が僕の手を掴みにくるという感じで。だからサイコロの選択とは異なる色糸を手にしてしまっていることを、僕は糸のせいにしていました(笑)。
ここで僕にとっての糸という存在は、完全に対象としてのモノではなくなりました。糸からの圧力、働きかけのようなものを感じ、作品との関係性が「私の織物」ではなく、「私と織物」という、等価とも言えるものに変化してきていることに気が付きました。
でも、この後の制作をどう進めていこうとも…。もうサイコロ降りたくないし。
> 聞いただけで気が遠くなりそうです…。何百回、何千回とサイコロを降るんですもんね…。
万です(笑)。でもこうして「私の織物」と「私と織物」という制作を続けていく中で、もしかしたらこの二つに大きな違いはないのかもしれないということも考えるようになりました。これは僕の主観なので、周りから見た時に違いがどう映っているかは分からないのですが、自らが主体的に糸を選んだ作品と、自らの主体性を放棄して他の何かにその主体性を委ねた作品との違いがごく僅かしかない。制作のアプローチがこんなにも違うのに、結果としての作品には微妙な違いしか生じない。当時僕の頭の中は「?」だらけだったのですが、このことをそのまま受け入れたというか、肯定的に捉えることで掴み始めたのが「私は織物」という関係性でした。
少し乱暴な言い方になりますが、もう僕が選んでも選ばなくても一緒だなと。つまり意図的に選んでもいいし、そうしなくてもいい。選ぶことや作品の方向性、作品という完成した姿に執着せずに織る。そうすると僕が糸を選ぶことと、糸が僕を選ぶこと、僕と糸(織物)との間に無理がなく調和がとれてくる。そしてその状況下で実現する、織物との同期感みたいなものがあって。
良し悪しの感覚も人間を中心に置いた一つの捉え方でしかない
> 何万回もの反復を繰り返したことで、ある種の境地にたどり着いた…。
僕は織り機の前に座る。目の前の織物は、隣り合う経糸が交互に上がり、その間に緯糸を通すことを繰り返す。そして僕の身体も、織り機の脚を踏み込む(経)、両腕を広げる(緯)、シャトルを投げる(緯)、筬を打ち込む(経)という経と緯の動きを繰り返す。この両方、糸と僕の両方が経と緯の動きを繰り返すことで、織物という一つの世界が構築されていく。このシンクロは織物の中に自分が入っていくような感覚、自分が織物に織り込まれ、溶け込んでいくような感覚で。だから僕はこの感覚、関係性を「私は織物」、もしくは「織物は私」と呼ぶようになりました。
この同期している時の感覚や、織物に現れる共生、共存感はとても居心地の良いものです。難しいのですが、心地よさを目指してしまうとこうはならない。結果的に居心地が良いというか。冷静に織った織物だけを見てみると、個々の色がバチバチにぶつかり合ったりしていて、決して平穏とは言えないんですよ。でもそこにはそうあっていいと思えるような平和みたいなものがある。多分これは良い悪いという人間的な尺度ではなくて、なんとなく、なんとも言えないけれど「大丈夫そう」という感じです。
結局のところ、良し悪しの感覚も人間を中心に置いた一つの捉え方でしかなくて、隣り合う糸の関係はもしかしたら良い関係かもしれないし、悪い関係かもしれない。染料同士の相性もあるかもしれない。人間から見たらそれは都合の悪いことかもしれないけど、糸にとっては良いことかもしれない。それらの状況も全部含めて、目の前に広がる織物の世界は大丈夫そうという感じです。たぶん、世間でよく言われる多様性が目指すべき方向性や形はこっちなんじゃないかな。
織ることから視えた世界
> 黒田さんにとっては、もはや織物と自己の境界線がないんですね。一心同体とか表裏一体というか。
織物や織ることを通して感じるのは、自己や他者、自然と人為、そうした二分法的感覚がないところへと織物が連れ戻してくれるということです。しかも、二分法自体を否定するわけではなく、その両者の立ち位置を入れ替え可能なものにするというか。共生や共存関係と強い結びつきがあると感じています。それこそ、「私は - 織る - 織物を」というSVOの関係ではなく、日本語的な「私は織物を織る」というSOVの関係を先へ進めたような。SとO、つまりsubjectとobjectは、それぞれ人とモノに分けられたり限定されることがなく、常に入れ替え可能で等価であるという感じです。「私は織物を織る」し「織物は私を織る」。この入れ替え可能なS⇄OV型の共生や共存関係は、これからの世界に必要な価値観なのではないかと思います。
ちなみにSVOとSOVの一番の違いはSとOの距離、SとOを動詞で分け隔ててしまうか否かだと思います。日本語のSOVという構造や主語が省略された(S)OVのあり方が、日本人のモノとの距離の近さ、モノを大切にしないとばちが当たるとか、万物に神様が宿っているという考え(モノが人間より上位にくるような)を可能にしているのではないかと個人的には考えています。
> たしかに、日本語の主語Sを省略できるのは、客体Oを私の一部または私自身として共感しているからとも言えます。古事記でオオゲツヒメがスサノオに切られ、体の各部が五穀に変わったという話も、日本人のカラダとモノの距離感を表していますよね。
そうですね。ただ、ここには課題もあって。それは、この入れ替え可能なS⇄OV型の感覚、それこそ「織物が私を織る」ということがごく自然な、当たり前であるような感覚を顕著に実感できるのは「織っている時」だということです。英語の「text(文章)」の語源にラテン語の「texere」がありますが、「texere」の意味は「織ること=to weave」です。「織物」ではないんです。つまり、文章という言葉を書き連ねたもの(文章を成立させるための文法や表記法を含む)は「織物」という結果ではなく、「織ること」という行為に内包されているんです。
僕は実際に織るからこの感覚を得やすいけれど、完成した織物を見るだけの人や、織らない人にこの感覚を掴んでもらうためにはどうしたらいいのか。現代美術としてアプローチしている以上、このことは大きな課題です。みんな昔みたいに機織りをしてくれたらいいんですけどね(笑)。
> 身の回りに織り機を目にすること自体が珍しいですからね。恥ずかしながら、私でも山形の当社工房では何度も織り機は見ていますが、織ることまではほとんどしたことがないです…。
織ることを通して二分法的感覚がないところへ織物が連れ戻してくれる
織りましょう(笑)。textとtexereの関係にもあるように、織物は言葉や文章が発達する以前の、私たちの意思の疎通や事象の記録を担う一つの言語体系でした。反対に、もしも織物が発明されていなければ、今の私たちが使っている言葉や言語、コミュニケーション方法は全く別のものだったかもしれません。これはものすごい「if」だと思いませんか。
言葉はその言葉で表される対象を世界から切り離してしまいますよね。テーブルの上に置かれたコップは、私たちの言葉を伴う認識と同時に、瞬時にテーブルとコップに分けられ、さらにそれは「コップ」として元いた世界から切り離される。コップは完全に「コップ」へとその存在を変えてしまう。僕はよく、その言葉になる前の、言葉によって切り離される前の世界はどこに行ったのだろう?ということを考えます。
そしておそらく織物は、現実にいながらにして、その切り離される前の世界、未分節な世界を可能にしているのだと思います。織物は、図であり地でもありますよね。また、線であり面、表裏でありそれ自体、コンテンツでありメディアでもある。
これは、この世界に「ある」こと=つまり、図、線、表裏、コンテンツといった何らかの主体が発した声や、表に現そうとしたものが、同時にこの世界そのもの=地、面、本体、メディアに「なる」ということ。この「ある」と「なる」を同時に可能にしていることが織物の肝だと思っています。だから僕自身も織物を「織る(ある)」と同時に、織物に「なる」。
> 古代の言語体系であった織物が、原始・近代を経て、現代社会に必要とされる価値観を現しているというわけですね。そして、その織物の世界観は、現代の私たちが抱える地球規模での環境問題や人種問題などの解決に導くヒントを与えてくれているのかもしれません。
織物は私たちが抱える様々な問題の解決の糸口になるのかもしれない
インプットとアウトプット
> ここまでの話から、制作をするにあたり、糸と黒田さんの二者間の対話によって作品を生んでいるように思いました。一般的にはアーティストは何かしらインプットを得て創作するものだと勝手に思っていたのですが、黒田さんにはそうしたインプットは必要ないものですか?
必要だと思います。が、…どうなんでしょう。一般的には美術館やギャラリーを巡ったり、映画、音楽、旅行等でインプットをしたりという話を聞きますよね。僕は美術があまり好きではないし、映画も観ないし、音楽も最近は更新せず、スーパーとジムに行く以外、引きこもりだし。そもそもインプット…あやしいですね(笑)。
> インプットをしていないとすると、作品の着想源は特にない?
制作に入る前に、ぼんやりと、「こんな感じの糸の世界を見てみたいな」ということはあります。でも結局制作が始まってしまえば糸任せというか、勝手に進んでいっちゃいます。それでいいとも思っています。
> アウトプットについてはどうですか?
……(笑)。もしかしたらアウトプットもしていないのかもしれません。「完成された作品」を目指して作っていた時の感覚は間違いなくアウトプットだったと思うのですが。
糸任せの話もそうですが、織っている時は織物の外部に自分の定位置がないというか、立ち位置を固定できないまま、色々な場所で糸とのセッションのようなものが行われていて。だから一方向的な(私の)アウトプット、という言葉はあまりしっくりきません。以前からふと思うことがあったのですが、よく自分が制作を続けられているなと。それはアウトプット的な制作ではないから、続けられているのかもしれないですね。そしてタイトル付けが辛くて仕方ないのは、僕がする数少ないアウトプット的行為だからかもしれません。スッキリしました!
> つまりアウトプット的ではないから、作品づくり(織ること)に対してはあまり辛さを感じないと。
そうですね。幸運なことに、織ることは楽しいです。もちろん眼、肩、腰は毎日のように悲鳴を上げています。でも制作を楽しいと言えることは、本当に幸せなことだと思っています。
> 締めの質問として「今後について」少し伺いたいと思います。今後作りたいもの、表現したいもの、取り掛かりたい、広げたいテーマはありますか?
黒田恭章(アトリエにて)
糸の世界の言語理解を進められたらと思います。ここまで僕が話してきたことは、織物が持つ構造や性質、織るという行為を通して気づけたこと実感できたことで、言葉にすることができる部分です。そして作品や展示ごとにその織物を通して伝えたいことやテーマはあるのですが、その時、その織物は媒介なんですよね。実はその織物自体が何を言いたいのか、何を言っているのかということには目を向けられていなくて。
正直、自分でも全く分かっていないんです。この織物が何なのか、どのような世界?空間?思想?を持つのか。強引な言語化は、織物とのバランスを崩してしまうし、織物を人間中心的な世界に引き寄せてしまう。でもやっぱり対話ができたらなって。
全然見通しはつかないし、織物と話ができるようになるとは思っていないのですが、なにかこう、私たちが今まで「モノ」として片付けてしまってきた存在との新しい関わり方が見つかったらいいなと思っています。その中で、少しでもこの織物のことを理解していけたら…という感じでしょうか。結局のところ、僕は糸に導いてもらうだけなのかもしれませんが。
> 今日は興味深いお話ありがとうございました。
(終)
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黒田恭章 (くろだ やすあき)
1986年新潟県出身。美術家。武蔵野美術大学大学院造形研究科デザイン専攻工芸工業デザインコース修了。2016年トーキョーワンダーウォールで大賞を受賞。国内のみならず、海外ギャラリーからの注目度も非常に高い。主な個展に、2017年TWS-Emerging「contextile」(トーキョーワンダーサイト本郷)、2018年「Lines & Agency」(青山とみひろ)、2019年「Naturally Died Silk Threads」(Frantic Gallery, MIDORI.so2 Gallery)等。
黒田恭章の過去作品や展示会情報等は、下記インスタグラムでご覧いただけます。
> Yasuaki Kuroda